キミと描く場所へ
少し前、担降りのブログを書いた。
私にとって「担当」とはどういう概念かというのを添えて、担降り(と言う名のジャンル移動)をしたブログを書いた。
どうやら私は何につけても「概念」と「定義」の話が好きらしい。
解のないものを自分なりに分析して、自分なりに定義しないと前に進めないタチなのかもしれない。
感覚値だっていいのにね。担当だって、感覚でいいじゃない、と思う。
好きという感情も、別に「なんで」なんて考えなくてもいい気がする。
なんで私はこれが好きなんだろう、とかね。
いくつかの関係のない事象を並べて、勝手に共通項を見つけた気になって(とはいえ私の解釈による)、自分の好きを整理したい。
言語化することで自分の感情を落ち着かせたい。
だけど言語化する、すなわち「=」という方程式で一対一の対応をするにあたって、私は私の中の定義というものをハッキリさせないと気が済まないらしいのだ。
あと加えて、感情の過程を残しておきたい、というのが大きい。
いつどんなときにどういう感情をいだいたかっていうのを残すのは、未来の私の為でもある。
ああ、あの時こんなことを考えて、だから今の私がいるんだ、と、見返した時に楽しいように。
今回は「自軍」の話をしたい、と、思う。
これはある意味自分の決意表明にも近い。
グループの優劣の話じゃなくて、ただ自分のツボにハマったのがどのグループだったかだけの話であることを前置きしておきたい。
グループにも、個人にも優劣はなくて、まあ確かに歌の上手下手とか、ダンスの上手下手とかはあるんだけど、それは優劣ではなく味だと思っていて、でもどうしても好みがある以上自分の中で順位はついてしまう。
みんなそれぞれ違うし、同じものを見ていたとしても見てる人によって解釈は違う。
これから先はあくまでも私の見方、解釈に基づいた話。
そしてこれから先、自軍は?と聞かれたら、「Snow Manです!!」と答える、という私にとっては大きな決意表明だ。
(決意表明をする必要があるのか(担降りではないけれど、言ってしまえばグループ降りみたいな話なのであれもこれも大好き!でいいじゃん!っては思うんだけど、なんかこう、どこかに記しておきたかった……))
だから不快な思いをするかもしれないなと思った時点でそっと閉じてほしい、と思う。ハッピーなオタクライフのために。
ところで話を元に戻すような、ちょっとズレるようなという感じなのだけど、2次元では「自ジャンル」という概念があって、多分それはジャニーズにおける「自軍」に近しいものだとここ最近思っている。
私にとってジャニーズとは、あくまでジャンルのひとつであって、気持ち的には「自ジャンルがあんスタからジャニーズになってしまったなぁ」と今まで思っていた。だから鉄虎君から深澤君への担降りも、担降りっちゃ担降りだけどジャンル移動だなと思った。
大まかな括りで言えばそれで間違いではないと今でも思っている、し、例えば「あんスタから関ジャニにジャンル移動した」というのは個人的にはしっくりしないから、「あんスタからジャニーズにジャンル移動した」っていう言い方でいいんだと思っている。
この「自ジャンル」っていうのは、意味合いとしては「今1番時間と金をつぎ込んでいる作品」というもの、だと私は認識している。
創作する人たち(FAや文章とか)にとっては「二次創作の活動ジャンル」に置き換えられるかもしれない(ここ3年くらい二次元で二次創作したけれど、あんす~が創作の場所だったかといわれたらちょっと違うので必ずしもイコールではないけれど)。
だから例えば「二次元における自ジャンルがあんスタからヒプマイになった」みたいな言い方をする。すなわちそれが「ジャンル移動」だ。
だけど同じジャニーズ内で、各グループを「ジャンル」という言い方をするイメージがなくて(例えば「自ジャンルがエイトからWESTになった」という言い方はしない印象がある)、その応援する対象としての大きな括りの変化をなんて言うんだろう、ってずっと疑問だった。
「推し変」と「担降り」はあくまで個人にフォーカスしているもの、という認識だ。
とはいえ推し変は「同じ範囲(同じコンテンツ)の最推しを変えること」だけど、「担降り」は比較的「違う範囲(違うグループ)に最推しを作る」という違いはあると思っていて、だから「担降り」というのは「推し変」よりも「ジャンル移動」に近しいものなのではないかと思っている。
ジャニーズのオタクを観測していると、グループとしての推しと所属している担当が一致しているケースが多いような気がする。というか担降りに伴って「自軍」が変わっているというか、「一番の担当がいるグループを自軍」としている人が多いような気がするというか。
だからその「ジャンル移動」っていうのは、ジャニーズにおける「自軍がかわること」なんかじゃないか、というところに考えが至った。
ジャニーズ、というか二次三次ごった煮でもいいんだけど、男子アイドルにおける担当をただ一人あげるなら深澤君だ、というのは半年くらいずっとそうだ。
いつからなのかはわからない。
ジャニーズという沼に足を踏み入れて、関ジャニが好きになり、横山君が好きになり、気づけば深澤君が好き!!!!!!!という状況になっていた。
横山さんと深澤君に対する応援のスタンスは違うし、それぞれに抱く感情も違うので、同じ括りの好きではないと思っているけれど、少なくとも「ジャニーズという大きなジャンルのなかで横山さんが一番好き!」だった時代があるわけだから、「ジャニーズという大きな括りに置いて一番好き!が横山さんから深澤君になった」瞬間が必ずあったはずで、でもそれを私は明確に覚えていないし、これから先言語化できることはないと思う。
ただずっと、一人選ぶなら深澤君だと言いながら、自軍は関ジャニだと言っていた。
会社にジャニオタが一定数いるおかげで、私がジャニーズという沼に足を踏み入れていることがバレて「誰が好きなの?」と聞かれるたびに「関ジャニです~!」といっていたのが夏まで、夏からは「関ジャニが好きで~あとJrはすのとなにわを応援しています」って言っていた。同期達はどうやらその答え方が不思議だったらしく、「すのを一番にあげると思ってた」「えいとってよりすのって印象だよ」って言われ続けて、まあすのくんは今怒涛のように供給があるし、『まだ咲いていない』グループなので、仕事が決まるっていうことにたいしてエイト以上の喜びがあるのは確かで、だからそういう意味ですの担にみえていたのかなあと勝手に思っていた。
一番は関ジャニだって、ずっとずっと言ってきたし、一番はだれ?って質問も、実は年末ぎりぎりまで「横山さん」って答えていた。(ふっかじゃないの!?っておどろかれたけど)
人間て、好きなものを別々で摂取したときって、あまりどっちがどうとかって思わない、と思ってる。
同タイミングで2つを提示されて、片方しか得られない場合にやっと比較ができると思っている、というか比較させられて自分がよりどっちを好きであるかを自覚させられるような気がする。
私にとってそれがきっとカウコンだった。
横山さんも、深澤君も、恭平も、樹も、末澤君もそこにいる。
だけど双眼鏡でロックオンできるのは一人だけ。
わたし、ずうっと深澤君を見ていた。
アイドルを応援するにあたり、大事にするものってあると思う。ビジュアル、アイドルとしてのスタンス、ダンス、歌声、グループって単位でいうならコンセプトとか仲の良さとか楽曲とか。
もちろん、「顔がいい」を売りにしているジャニーズを推すにあたり、顔が大事ではないことはないと思う。
恋愛とは違うけど、でも恋愛と同様に顔が好みじゃなきゃその人のことを深く知ろうとはならない気がしている。
その結果、そのままその人にハマるパターンと、近しい別の人にハマるパターンとあると思うけれど、深澤君は私にとって珍しく、「そのままその人にハマるパターン」だった。
あとついでに顔と中身に加えて歌い方がグループ内で一番好きってのもはじめてだったなあ。
話を元に戻すけれど、私にとってその人が本当の推しになるかどうか(=自担になるかどうか)はその人のアイドルとしてのスタンスがどうやら重要らしい。
それをきっかけに『応援したい』と思うかどうかが変わってくるらしいのだ。
アイドルの何に重きを置くかはアイドルをどういうスタンスで応援しているか、にも左右されると思う。
ただただ見てたい人、ファンサを貰いたい人、成功を願う人。
私は、成功を願いながら楽しくアイドルをしている様を見たい人だ。
ファンサは欲しいけど、別にいらなくて、「あなたを推してる人はここにいるよ」って伝わればそれでいいと思ってる。
だからきっと観賞対象というよりは、崇拝対象としてのほうが、気持ちが大きくなるんだと思う。
私にとって深澤君は「すき!」だけじゃなくて、「尊敬」とか「応援したい」とか、その他の感情も持ち合わせる人だ。
深澤君以外の自担は「かわいい」「すき」なので、やっぱりちょっと違うっぽい。
ちなみに私がグループにハマる理由は彼らが歌う歌詞が決定打になることが多いことに最近気づいた。
これこそめっちゃ今更なんだけど。(とある楽曲の歌詞に感動して就職先を決めた人)
エイト君は完全に歌詞落ちなんだけど、そういえばスノくんもすのどりの歌詞で余計すきになったんだなあって今更ながらに思う。私はあの曲を聞いて「すのの傍にずっといたいな」と思ったんだもの。
今年の関ジュあけおめコンで生のりるみらくるを聞いて「りとかんちゃん!!!!!絶対おっきくなろうね!!!!!!」ってなり、現在「関西はりとかん担かもしれん」とまで言ってるので、今の一番危ない沼はりとかんです。関西はええなあ。
話がそれました。
それでね、私はしばらく、深澤担のエイターみたいな、正直二次元だと最推しキャラと最推しグループってズレるのがありがちだと思ってるから違和感はなかったんだけど、そういうちぐはぐしたところにいた。
だけど、カウコンで「ああ深澤君が好きだ」と思ったこと、あとね、これはもう仕方のないことだと思うのだけど、私はストもスノも好きで、ただ深澤君が好きすぎるから比較的すのを応援しているスタンスではいたけれど、自分の中にそんなに明確などちらかというのはないつもりで、だけど、vsってされるじゃない、バトルではないとは言えさ、1位は片方しか取れないんだよ。
どっちに肩入れするつもりもなくて、だから平等にしか予約してなかったけど、なにわちゃんの公演に入って、いつもライブ中はその人たちではなく他の人たちのことに思いを馳せがちな中、ライブ中はずっとなにわちゃんのことを考えていたけれど、その反動なのかライブ終わってしばらく経ってすごくすのくんの現場に行きたくなって、で翌日TrackONE IMPACTに入って、そのタイミングで見学席にすのがいたのも大きいと思うけれど、vsでくくられてる片方のライブを「すごいな」「かっこいいな」と思うと同時に、このタイミングでツアーが出来ていることがうらやましくもあり、悔しくもあり、ああ、わたしはすのくんがどうやら思ったより好きなんだということに気づかされたというか。
「ミリオン行きたい!」って話してると知ったときも「サマパラで目黒も言ってたな~こっちもまけてらんないな!」って気持ちになった。
ああ私は深澤担なだけでなく、もう十分にすの担なんだ、って、ストのライブでよりきづかされた。
その日から、自軍というものについて考えるようになった。
一生関ジャニが好きであることは変わらないと思う。
私にとってジャニーズにおける親鳥みたいなもので、あんだけ売れてるのに「売れるぞ~!」って言う彼らが本当に大好きだ。
関ジャニの歌がなければ、私は社会人1年目の最後の3か月を乗り越えられなかったかもしれない、2年目の夏を越せなかったかもしれない。
関ジャニ君は、私にとって、生活の一部だ。
だけど、いや「だけど」という接続詞はまちがっていると思うけれど、「応援したい対象か」と言われたらちょっと違うのかもしれない。
アイドルを推す感情に「応援したい」が必要だと思わない。
ただただカッコよさを浴びて、好き!もっと見たい!だけで十分だと思う。
だけどこれはオタクとしてのスタンスの問題で。
まだまだこれからはじまるすのくんと一緒に、となりで歩みたいと思った。
一緒に見たことのない景色を目指したいと思った。
だからね、そもそも関ジャニを好きな気持ちと、すのを好きな気持ちはね、横山さんと深澤君がそうであったように違うのよ、最初から。
だから比べるなんてこと自体が間違っているの。
だけどよく「自軍」って話を、するじゃない。
そこで話は最初の方にもどるんだけど、この「自軍」ってのを「自ジャンル」に置き換えるんだとしたら「今一番金と時間をつぎ込んでいるグループ」ってことになる。
たぶん、まだ現状関ジャニくん。
だけどこれから先、許されるだけの時間とお金をすのくんに使いたいと思った。
一緒に頂点(テッペン)目指したいと思った。
わたしはこれから先もエイターだし、横山担であることにかわりはない。
ストも好きだし、なにふぁむだし、末澤君も風雅くんも岡君も応援していく。うみんちゅもね。
でもこれから先「自軍は?」って聞かれたら、「Snow Manくん!」って答えよう、って、というかもう自軍はわりととっくにすのだよ、って、これはそういうただの決意表明。
ところでなんで深澤くんが好きなんだろうとか、すのだったんだろうとか思うんだけど、まだその辺はちゃんと自己分析できていない。
ただ深澤くんの、俯瞰して見渡すあたまの回転の好さとか、自らがサポート側に回るところとか、そういうところがすっごい好きで、深澤くんの大切にしているすのくんを私も大切にしたいと思って、その結果ちゃんとみんなを知るようになって、なによりも第一に深澤くんが大好き!!!なんだけど、みんなの関係性も、めっちゃすきなんだあ、すのくん。
これからたくさん、きっとつらいこともあるけど、楽しい嬉しいを共有できたらいいな。
タイトルはD.D.の一説。
ふかなべかなって思ってるんだけど、実際どうなんだろ。
というわけでジャニーズwebのアーティストを変更してきます。